危機管理の専門家として、自分自身に言い聞かせていることが三つあるが、その一つは、危機管理において国際水準を満たしていないものはすべて不合格であり、常にそれを意識すべきということである。

二つ目は、日本人である限り危機管理ができないことを自覚すべきということである。日本人は世界的に見ても高い能力を備えていると思うが、これまで島国で安全に恵まれてきたこともあって、危機管理が苦手である。この事実を直視して、ひたすら乗り越えていく努力をすべきである。

これを象徴する出来事として、昨年、小渕首相が突然倒れた時に、首相の職務継承順位など、何も決まったものがなく、首相空白の時間が長時間続くという事態が起こった。アメリカでは、大統領の職務継承順位が法律で17番目まで決まっており、全員が一箇所に集まってはいけないということまで決まっている。アメリカでは、家庭で子供に危機管理を教えるほど教育が徹底されており、日本との危機管理のセンスの違いは歴然としている。

三つ目は、危機管理を考えるためには思想哲学が必要であり、消防、警察、自衛隊など、危機管理に関わる様々な組織の位置付けや災害発生時の役割分担を明確にすること、相互に理解し合い、情報の共有を図っていくことが重要である。

私自身、阪神・淡路大震災を契機として、防災の問題を考えるようになったが、自衛隊の出動時期やヘリコプターによる空中消火に関する議論にもみられたように、現状では、消防や警察と自衛隊は違う組織であって、出動する時期や役割も異なるということが明確になっておらず、相互の研究成果や情報の共有、連携といった面でも遅れている。

一昨年、発生したJCOの事故の際も、危機管理の中枢である「内閣危機管理センター」のメンバーに原子力の専門家がおらず、緊急時に責任ある判断を下すことができなかっただけでなく、放射線防護服もなかったために、多くの被爆者を出してしまった。

日本では、危機管理のマニュアルもつくるだけで終わることが多い。日頃から使って訓練を繰り返し、マニュアルに書いてあることはもちろんのこと、マニュアルにない事態が起こった場合にもパニックに陥らず、的確な指示が出せる、経験豊かなプロを育成し、組織化していかなければ、危機管理の国際水準を満たすことはできない。そのためには、外部の組織が常に抜き打ちのチェックをし、それに対応できなければ責任者は処罰されるといった厳しいシステムを取っていく必要がある。

アメリカのFEMA(連邦緊急事態管理庁)は、緊急事態発生時に出動する専門家集団であり、消防、警察、軍隊、自治体などもこの指揮下に入り、適切な処置を即座に判断して指示できる権限を与えられている。一昨年、アメリカ大西洋岸をハリケーンが襲った時も、住民避難のために見事な対応をしているが、日本でも、このFEMAのようなものをつくっていくべきであると考える.

昨年行われた東京都の総合防災訓練でも、自衛隊は情報管理ができていたが、東京都、東京消防庁、警視庁は、情報管理の責任者が不明確で、訓練会場に情報端末もなく、各組織間での情報共有ができていなかった。これでは、各組織が連携して、災害に対してすぐに対応することは不可能で、行政として機能していないというのが実態であった。

世界でも有数の地震国,火山国の首都、東京の危機管理能力が高くなければ、世界から日本への投資も行われることはなく、危機管理能力の高さを世界中に示すことは、まさしく経済的繁栄の条件であるということが言える。これは、神戸についても同じであり、そのような位置付けのもとに危機管理に取り組むことが、思想哲学を持つということにつながる。

神戸が真に復興していくためにも、危機管理に関する考え方を整理し、税金を有効に使いながら、自らの生命・財産を守るシステムを構築するための基盤を担うものとして「神戸安全ネット会議」を位置づけてほしい。また、機会があれば、一緒に勉強したいと考えている。


講師の略歴

小川 和久(おがわ・かずひさ)

1945年熊本県生まれ。同志社大学神学部中退後、日本海新聞記者、講談社「週刊現代」記者を経て1984年、日本初の軍事アナリストとして独立。 現在、国際政治・軍事アナリストとして危機管理総合研究所所長を務める。 主な著書に「『頭脳なき国家』の悲劇」「日本の価値」「LA危機管理マニュアル」などがある。